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部長退任の挨拶
2019.04.02up

2019年 3月31日

部長退任の挨拶
 
 
体育会準硬式野球部部長を拝命したのが2003年10月。その数週間前、三田キャンパス研究室棟前で池井優先生(現法学部名誉教授)に声をかけられました。いつものように立ち話かなと思った矢先、準硬の部長になってくれないか、というお誘いで戸惑いました。即答を避け1週間後に部長就任の件をお引き受けしました。当時池井先生に言われたことはいまでも忘れません。準硬は体育会のなかでもOBOG会組織がきちんとしているので、先輩との付き合いは大切にしなさい、という趣旨でした。


あれから15年強が経ちました。このたび運命のいたずらで、準硬の部長を退任し、塾体育会理事として身を捧げる運びとなりました。体育会理事への就任打診は、2019年2月半ばでした。そのときは戸惑いよりも唖然としたというのが正直なところです。1週間悩みに悩み抜き、最終的には慶應義塾のためならば、と腹を括りました。ちなみに、この話について真っ先に相談したのは小圷伸会長でした。山本があまりに正直にことの成り行きを語ったがゆえに、携帯電話の向こう側で小圷会長が絶句した際の何ともいえない息づかいはいまでも忘れません。
体育会理事のお話をいただいてから悩んだのは、体育会理事という大役が待っているということだけではなく、準硬部長を退かなければならないという現実に直面したことでした。走馬灯のように15年間の部長生活が頭のなかを駆けめぐりました。菊地榮之助元会長、小松恭三前会長、小圷(現)会長と3名の三麦会会長の下で部長をやらせていただきました。当初はというよりも長い間、三麦会に導かれるままに山本は部長もどきを演じていました。滅多にリーグ戦を応援せず、合宿や練習に足を運ぶことも極めて希でした。そんな部長もどきの時代に、準硬は2006年に新しい部室を蝮谷に建設し、2009年春には27年ぶりにリーグ戦優勝を果たしました。その年の秋から1年間山本はアメリカ・コーネル大学で研究生活を送りました。


帰国後も部長もどきを継続していたのですが、2014年春から、織戸晃前監督とともに部の改革に着手することになりました。何の因果か山本が音頭をとり、5月から6月にかけてほぼ毎週学年ミーティングを開催しました。その場には小松前会長をはじめとする三麦会の方々に多数ご出席いただきました。あのときから5年間は、山本が部長らしき仕事をさせていただいた時期でした。それまでの10年間とは異なり、毎月のように部員と話す機会を設けました。2015年から3年半ほどは月例報告会を開催し、部の動向が手に取るようにわかるようになりました。その過程の2016年秋季リーグ戦で優勝。部の改革の一つの成果だと心から喜べる瞬間でした。
15年間の部長期間を振り返ると、いつの間にか準硬が生活の一部になっていた自分を見つけました。現役であった部員にはずいぶんと迷惑をかけたかなという思いがあります。2014年以降の部の改革過程では、三麦会の多大なるご支援をいただきました。大阪出張の際に集まってくださった三麦会の面々にも感謝です。気づいてみると、部長就任時と比較して、部員数は2.5倍に増加しました。リーグ戦で現役に声援を飛ばす三麦会の方々の数も増えました。いつの間にか親御さんが毎試合顔を出してくださるようになりました。いまや六大学のなかでも、慶應の応援団の熱心さは群を抜いています。これは偏に準硬を愛する部員と三麦会の面々が、準硬を体育会として育ててくださった成果だと感謝しています。心残りなのは、4月からの新しい役職ゆえに、現在の部員の成長ぶりを間近に感じられなくなるということです。


準硬には誇るべき部訓があります。その部訓は、準硬愛に満ちあふれています。それは、謙虚な心持ちで常に試行錯誤を重ねる個人が基礎となる集団であることを謳っています。準硬は人を育てる場です。「半学半教」という塾の理念を体現する場です。学びながら教える、教えながら学ぶという関係を表していますので、そこには上下関係がありません。この言葉の根幹は学び続ける精神です。準硬に関わる人びとが常に切磋琢磨し、試行錯誤を重ねながら、準硬という組織を育てていく。現役部員(マネージャー、スタッフ、選手)だけではなく、三麦会を含むことで初めて準硬は形成されます。準硬は考える集団ですから、常に変化をし、常に先を見据えていく集団です。
そうした準硬に部長として関わることができた山本は幸せ者でした。部員が悩みながらも成長していく姿をみてきたこと、卒業後に社会で活躍する噂を耳にしてきたこと、三麦会の運営に関わる諸先輩方の準硬を愛する真摯な姿勢と取り組みに接してきたこと。これらすべてが山本にとっては貴重な財産です。
15年間、お付き合いいただき、ご指導いただけましたこと、心より感謝いたします。
 

山本信人